真奈ちゃんのこと。

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2001年から2004年までナイフのサポートドラマーだった真奈さんが2005年11月4日自動車事故で亡くなられた。

 こんな信じられないような悲しい出来事が起こるなんて。

 彼女はロックバンド、DMBQのメンバーとしてアメリカツアー中だった。地元警察の発表をwebのニュースで見る限り、降って来た災難というしかない。彼らの乗った車が他の車に当てられたのが事故のきっかけだったから。なんの落ち度もない人がこんな目に合うなんて、やりきれない…。

 「真奈さんの思い出」

 1999年に美智枝さんが脱退した後、アツコがドラマーからベーシストにスイッチした。レコーディングではアツコがドラムとベースを担当していたが、ライブではドラマーが必要なので、サポートミュージシャンとして誰かいい人いないかなと考えてたら、ホラー系メイクのガールズバンドDROOPでドラムを叩いていた真奈さんはどうだろう、ということになった。そのとき真奈さんはDROOPは脱退していたので。まずは手始めにレコーディングに1曲参加してもらった。曲は”Mosquitoes”。そのときの事はあまり覚えていない。

 それからしばらくの間をおいて、ライブリハーサルが始まったのだが、あらかじめ何曲分か音源を渡して置いたら、すぐにそれらの曲をマスターしてくれたのには驚いた。初期はヘタウマなんて言われていた少年ナイフにとっては、目からうろこ状態。わたしなんて、そんなに早くにたくさんの曲は覚えられないから。

 そして、2001年の5月、まずは手始めにナイフ名義ではなく、シークレットバンド「712」として大阪十三のファンダンゴでライブをした。90年代ずっとメンバーが固定していたけど、違う人と一緒にステージするのはどんなだろう、と思っていたが、全く何の問題もなく、楽しくライブが出来た。

 その後、日本国内のライブ3回を除き2004年末まで4年近くの年月、彼女にサポートしてもらった。2003年秋には北米ツアーで20回のライブをおこなった。

 彼女はナイフ以外に羅針盤やJesus Feverなど、6つも7つもバンドを掛け持ちしていていつもライブにレコーディングに大忙しだった。いろんなタイプのバンドの多くの曲をよく覚えられるもんだと思った。
 それと彼女はお酒、主にビールかな?が好きでそれにまつわる逸話も数限りない。ま、そのあたりはあえて伏せておこう。

 女の子らしい面もたくさんあって、うちで食事会をしたときに手作りのきんぴらごぼうを持ってきてくれたが、大変美味だった。リハーサルの後で、スタジオ近くの激安ブティックに入ってみんなで服を探したりもした。

 生活時間が朝型のわたしとは逆だったので、電話するときは何時にしようかよく悩んだもんだ。とにかく忙しい人なので、リハーサルの日を忘れていないかなと冷や冷やしたのも今では笑い話。家で体脂肪率をいっしょに計ったこともあったなぁ。何パーセントかは秘密にしておくが、彼女の体脂肪率はかなり低めだった。さすが、ドラマー。
 2時間後ぐらいにエネルギーに変わる食べ物だからと言って、ライブ前にはよくうどんを食べていたことも思い出す。ライブの時、呼吸困難になってはいけないからと酸素ボンベもいつも持っていたなぁ。

 そう言えば、2002年のFuji Rock Festivalでは演奏し終わったとたん彼女はぶっ倒れて、スタッフにお姫様抱っこで楽屋に連れて行かれてたっけ。それに気づいたお客さんは少なかったみたいだけど。

 2003年の北米ツアーでは初めてのことが多かったせいか、普段のライブにも増して、彼女のテンションが高かった事が思い出される。でも、持ち前のフレンドリーな性格で英語の壁もなんのその、語学習得の模範ともいえる積極的な態度でアメリカやカナダの人とコミュニケートしていた。このツアーでアメリカ人カナダ人の友達もたくさん作っていたし、ライブでは現地のナイフファンから喝采を受けていたし、振り返ればいいツアーとなった。ツアー終了後3日間だけだが、ロサンゼルスにみんなで延泊して観光をしたけど、とても楽しかったなぁ。

 そののち彼女は2004年後半ごろ。他のバンドの活動と平行してDMBQに加入した。そして2005年春の彼らのアメリカツアーとナイフのツアーの時期が重なることになってしまったので、正式メンバーであるDMBQのスケジュールを優先してもらうことにしたのだ。

 2005年春のツアーで、ナイフはDMBQと同じ日にTexas州Austinでライブがあった。スケジュールの都合で彼らのライブは見れなかったが、私達のスタッフが見に行って、とても面白かったと言っていた。

 1998年以来海外ツアーとご無沙汰していたナイフだったが、2003年秋に北米に行ったことで、また海外でのライブ活動が活発化し、これからも彼女の他のスケジュールとバッティングする可能性が高かったので、ナイフとしては、別の人を探すことになった。(その人がえっちゃんです。)でも、真奈さんとは何かまたチャンスがあればいっしょに演奏したいと思っていた。

 その後は今年の夏、8月13日土曜日、Summer Sonicで彼女に会った。イベントの終了後、他の友達も交えてみんなで居酒屋に行った。真奈ちゃんとは久しぶりだったので話が絶えなかったのを覚えている。その時はみんな幸せだったのに。

 最後に彼女に会ったのは、その直後8月19日、DMBQが大阪梅田のシャングリラでライブした時だ。わたしは噂に聞く真奈ちゃんのDMBQでのドラミングを是非見てみたいと思い、足を運んだ。ライブ後半ではPAスピーカーの上にドラムを置いて、真奈ちゃんがその上にのぼって演奏していて凄かった。なにか鬼気迫るものがあったような気がする。大阪在住の真奈ちゃんがDMBQの活動で東京へ頻繁にレコーディングやリハーサルしに行ってたのも思い出す。新幹線の乗り方に詳しかったなぁ。

 いろんな思い出があるけれど、もう会う事ができないと思うと大変悲しくて残念です。

————— 真奈さんの業績をたたえて。ご冥福をお祈りします。